49歳で乳がんの告知を受けた井口紀代美さん。乳がんが発覚したのは、毎年受けていた人間ドックでした。治療が始まってからは、好きだった外出もしなくなり、長年続けていた運動や趣味だった読書や映画鑑賞も、すべてをやめてふさぎ込んでいました。
しかし、辛い治療に耐えながら、時間をかけて癌と向き合えるようになったと言います。そして2023年12月、52歳の年にホノルルマラソンを完走しました。一度は走ることをやめた紀代美さんが、ホノルルマラソンへの挑戦を決意した理由や、ゴールを駆け抜けた先に見えた新たな心境を伺いました。
【プロフィール】
井口 紀代美さん(53歳)
東京都在住、旦那さんと2人のお子さんの4人家族。
2020年11月に乳がんが発覚した。現在もホルモン剤を服用している。
乳がん発覚後、1年の休職期間を経て現在は復職し、損害保険会社に勤務。
癌のことを誰にも知られたくなかった
ーー乳がんが発覚したとき、どのような気持ちになりましたか?
茫然としてしまい、当時の記憶があまりありません。毎年恒例の人間ドックに行くだけのつもりだったので、先生から「乳がん」という言葉が出てくるなんて思いもしていませんでした。ただ、自分で見てもわかるぐらい、しこりがはっきりと写った乳腺の画像と「要精密検査」の文字が目に飛び込んできたことは覚えています。
検査の過程で自分の胸を触って驚きました。しこりというより、硬い塊が自分の胸にあり「こんなに硬いものが、私の胸にあったなんて……」そう思いました。
ーー治療中はどのように過ごされていましたか?
治療中は半年以上ふさぎ込んでしまい、ずっと家にいました。とくに抗がん剤治療中は脱毛で見た目も変わってしまったこともあり、人に会いたくなかったです。癌であることを、人に知られることをとても恐れていました。癌であることが悪いわけでもないし、恥ずかしいことでもないはずなのに、当時は周囲からの目に敏感になっていました。友人や同僚はもちろんのこと、自分の母親にさえ、病気のことは伝えませんでした。
乳がんになるまでは、外出も好きでしたし、長年ジムに通い運動もしていました。でも治療が始まってからは、息子の習い事の送迎といった、必要最低限の外出にとどめていました。好きだった読書や映画鑑賞からも距離を置くようになりました。どれもきれいごとを並べられているような、皮肉なものにしか思えなかったんです。そんな自分が嫌でした。
でも抗がん剤治療を終えたころ、ウィッグを楽しめるようになったり、クラシックギターを習い始めたり、少し外に出られるようになりました。ずっと家にいたら、家にいることにも徐々に慣れてきたのだと思います。乳がんになるまでは、フルタイムで仕事をしていたこともあり、何もしないで時間が過ぎて行ってしまうことを勿体なく感じるようになりました。
でも本や映画、歌詞がある音楽など、メッセージをダイレクトに受け取るものは避けたい気持ちがありました。自分の心と相談して、音だけのクラシックギターに興味を持ち、始めることにしました。
癌と付き合っていく覚悟をする
ーーふさぎ込んでいたところから、どうして前を向けるようになったのでしょうか?
治療が落ち着いたことと、時間が解決してくれたことが大きかったように思います。放射線治療を終え、残りの治療がホルモン剤治療だけになったころから「どのように癌とつきあっていこうか」と病気に前向きに立ち向かえるようになりました。自然と、乳がんであるという自分を受け入れることができるようになっていたのです。
クラシックギターを習ったことも良かったのかもしれません。そんなに楽しくはなかったのですが、気分転換になりましたし、外に目を向けるきっかけになりました。それ以外にも、エンディングノートのようなものを作って、自分のやりたいことを考えるようになりました。
ーーエンディングノートに挙げたやりたいことには、どのようなものがありますか?
家族旅行に行くことや、お世話になった先輩に会いに行くことなどさまざまあります。好きなアーティストのライブに行くことは、月に一度を目標に行っています。これは乳がんになったときに親友が教えてくれた「エンタメ充電」です。親友が「私は月に一度エンタメ充電をすることにしているよ。一緒に楽しもうよ」と声をかけてくれたことがきっかけです。大きなことでいうと、やりたいことの中で上位2つ目にあった「ホノルルマラソン完走」を昨年達成しました。
いつかなんて、こないから走ることに決めた
ーーなぜホノルルマラソンへ挑戦したいと思ったのでしょうか?
若いころに夫と「夫婦でいつかホノルルマラソンを走りたいね」と話していたことを思い出したんです。それまでは、経済的なこともあるし、長期での休みもとりにくいし、子どものこともあるし、いつの間にかそんなこと口にも出さず、頭の中から消えていたのですが。
癌になって治療の大変さや、再発の恐怖と隣り合わせの生活を味わいました。「いつかやってみたいね」なんて言っていたら「いつかはこない」ということを学んだんです。だから先延ばしにしていたら、そんな日はこないと思わなければいけないと。
「私の癌はいつ再発するかわからないから、今走るしかない!だから付き合ってほしい」と、夫を無理やり説得し、すぐにホノルルマラソンにエントリーしました。それが本番の7か月前でした。
エントリーしてから自主練を始めました。平日は週に一度は走る、週末は10Km走ると決めていました。10Kmぐらいは問題なく走れたのですが、それ以上の距離になると、手術を受けた方の腕がしんどくなるのが気になっていました。手術で腋窩リンパ節の切除もしたので、あまり無理をするとリンパ浮腫を招いてしまうかもしれないと思い、少し心配でした。リンパ浮腫には日焼けも良くないですし、ハワイの強い日差しの中、腕を振り切れるのか、足腰はもつのか、楽しみよりも不安な気持ちの方が大きかったかもしれません。
ーー実際にホノルルマラソンを走った感想を教えてください。
当日は本当に心から楽しめました!ハワイに行く前の不安が嘘のように、気分が高揚し、乳がんのことも腕のことも、まったく気にならなかったです。走っている最中は「ゴールはどこなの」というぐらい苦しかったのですが、ゴールが見えたときには「もう終わっちゃうんだ……もう一度走りたい」と思いました。
少しハプニングもありました。夫が途中で体調を崩してしまい、一緒にゴールできませんでした。夫が「お前の夢だから先に走れ!今ならまだ良いタイムが目指せるぞ」と声をかけてくれたので、遠慮せず先に走りだしました。夫婦そろって感動的なゴールを思い描いていたのですが、それはまた次回に成し遂げたいと思います。海外の賑やかなお祭りのような雰囲気も、ハワイの景色も、ハプニングもすべてが最高の思い出です。
癌になったから、命が有限であることに気づくことができた
ーー癌になったことを振り返ってどんなことを思いますか?
癌にならなかったら、ホノルルマラソンに行くことはなかったと思います。子どもの進学にお金もかかるし、先延ばしにして歳をとって、諦めていたと思います。だから自分のやりたいことを優先して行動に移したということが、私の中でとても大きな出来事でした。
自分のために行動できたのは、癌になって命が有限であることに気づくことができたからです。子育て中心の生活をしていましたが、自分の人生に改めて目を向けるきっかけをもらいました。
好きなアーティストも、私と同じように歳をとり、いつ歌えなくなる日がくるかわかりません。友人に会うことも、ライブに行くことも、ホノルルマラソンに行くことも、やりたいことは先延ばしにせず実行していきたいと思います。
それに、癌になったのが家族の誰かでなくて、私でよかったです。私さえ頑張ればなんとかなることですし、母親の頑張っている姿を見せることが、言葉のいらない教育になるのではないかと思うんです。ある程度の年齢の子どもたちに伝えられることは、もう多くはありません。でも、必死に前向きに生きていく姿を見せることは、今から子どもたちに残せるものだと思っています。
紀代美さんは職場でも、病気をした方の対応ができる部署への異動願を出しているとのこと。自分の経験を生かして生きていこうとする姿に、今を生きることの大切さを学びました。