抗がん剤治療スタート

いよいよ恐怖の抗がん剤治療がスタートしました。
やはり昔からドラマなどで抗がん剤治療は髪が抜けて、ものすごく嘔吐してしまうもの。
いうイメージがあり、とても身構えていました。
先生からの事前説明では、今はもう嘔吐する人もほとんどいないと聞いていたのですが、
どうしても気持ちが悪くなるイメージでした。
自分の部屋にはいつでも吐けるようにゴミ箱を追加し、
何も食べれなくなることを見越してゼリーやアイスを用意。
抗がん剤治療当日はとにかく緊張していました。

抗がん剤治療の流れ

①朝一で尿検査と血液検査
②尿検査と血液検査の結果をふまえ、その日の抗がん剤治療ができるか先生に判断してもらう。
③抗がん剤点滴(2時間半~3時間)
抗がん剤治療は凄く混雑していて、
先生から抗がん剤治療のOKが出てもすぐに抗がん剤を打ってもらえることはほとんどありません。
抗がん剤治療室に行ってからベットが空くまで30分~2時間程度待ち時間があります。
採血の結果が出るまでにも1時間ぐらいかかるので、
先生の予約時間より1時間は早く採血する必要があります。
私はいつも先生の予約時間が9:30~なので、
毎回8時過ぎには病院に着き、会計まで終えて病院を出るのが14:30~15:30ぐらいです。
お昼ご飯にいつもおにぎりを持参して、治療前に院内で食べています。

拘束時間がとにかく長くて驚きました。
また、私が打っている抗がん剤は抗がん剤打った後、当日の運転は不可なので
毎回家族に送迎をしてもらっています。
夫に毎回仕事を休んでもらうわけにもいかないので、
抗がん剤治療中はほとんど両親に送迎をお願いしています。
私はたまたま実家が近く、父親は退職済み、母親の休みの日が先生の外来日、ということもあり
毎回誰かしらにサポートしてもらうことができて、本当に恵まれています。
元々心配性の母が食事の面倒もみると言ってくれて、
抗がん剤治療後の一番具合が悪い時は実家でのんびりさせてもらっています。
だから抗がん剤治療しながら今まで通り家事をしたり、育児をしたりしている人の話を聞くと
本当に凄いことだなって思います。
私は32歳で夫もいるのに甘え放題なので・・・
でも夫も物凄く心配してくれて、日中家に一人で居られると心配だからなるべく日中は実家にいてほしいようです。(笑)

抗がん剤治療の副反応(キイトルーダ+パクリタキセル+カルボプラチン)

抗がん剤の副反応については本当に人それぞれだという説明を何度も受けました。
私の場合は主にこんな感じでした。

抗がん剤当日:とにかく眠い、口の中の不快感(舌が紫色っぽくなり、腫れた感じになる)

抗がん剤翌日~3日後:口の中の不快感、ムカムカする(胃もたれの酷い症状みたいな感じ)
抗がん剤4日~7日後:軽度の口の中の不快感

私は抗がん剤治療を1回終えたらすぐに肝臓の数値が悪くなり、
すぐに薬の服用が必要になりました。
薬を服用しているにもかかわらず、3回目の抗がん剤の日の血液検査で
肝臓の数値が改善していなかったのを見たときは
本当に怖い薬を打っているんだなと思いました。
4回目以降の血液検査から肝臓の数値は徐々に改善し始め、
現在も服用は続いていますが、基準値を保てるようになりました。

脱毛

いよいよその時がやってきました。
先生から説明を受けていた通り、抗がん剤治療開始からぴったり2週間後
シャンプーをしたら手にごっそりを髪が・・・
わかってはいたことだけど、やはりショックでした。
検査の時と同様、自分が癌だと痛感する瞬間でした。
泣きながら夫に電話したな~。夫も一緒に泣いてくれたな~。(今となってはもう懐かしい)

毎日ゴミ箱に捨てられる大量の髪を見て母が、
「今日も元気にいっぱい抜けたね~!」とやけに明るく声をかけてくれて、
気を使わせて申し訳ないなという気持ちと、ありがとうという気持ちになりました。
毎日脱毛して日に日に髪が薄くなっていく娘を見ている母親の気持ちって
私にはわからないけど、きっとそれなりにショックだったんじゃないかなと思います。

悲しかったのは抜け始めた当日だけで、次の日から脱毛の大変さを思い知りました。
シャンプーやドライヤーの時にたくさん抜けるのはもちろんなのですが、
日中もバラバラと髪がどんどん抜けます。
私は抜けた髪が服の襟や中に入って、チクチクするのがとても煩わしかったです。
一日に何回も自分にコロコロをしていました。(笑)
祖母に襟に付いた髪をとってもらったりもして、
猿の毛づくろいみたいだな、なーんて思ったり(笑)

毎日ゴミ箱に捨てられる大量の髪を見て母が、
「今日も元気にいっぱい抜けたね~!」とやけに明るく声をかけてくれて、
気を使わせて申し訳ないなという気持ちと、ありがとうという気持ちになりました。
毎日脱毛して日に日に髪が薄くなっていく娘を見ている母親の気持ちって
私にはわからないけど、きっとそれなりにショックだったんじゃないかなと思います。