脳のMRIの結果

 

体調が急変してから脳のMRIをとってもらった結果、
右小脳に4センチほどの脳腫瘍ができていることがわかりました。

確かに頭痛があったのはずっと右側でした。
頭痛と気持ちが悪かったものの、普通に歩いて検査や診察に向かったら
診察室に入ったとたん、先生から「ここまで歩いてきたの?!?」
ととても驚かれて、こんな画像見せられて、、、
正直とてもパニックでその場で一気に涙が出たのを覚えています。

ショックが大きかったせいか、人生の中で一番、記憶のない数日になりました。

その場で先生に言われて覚えているのは、
とにかくすぐに入院になることや、車いすでの移動が必要。
腫瘍は4センチぐらい、緊急での治療が必要になること。
一旦乳腺外科から離れて、脳外科の先生に治療を担当してもらうことでした。

一緒に来ていた旦那も泣いていたのですが、
付き添いの家族もすぐに入院手続きをしてもらう必要があったので、
慌ただしかったと記憶しています。

私もその間に予定が入っていた予定や、仕事のキャンセルなど
パニックながら必要な人に連絡をとりました。
仕事に関しては冷静に対応できたなと思う反面、
なんでそんなパニックな時に連絡したのかと思う友人もいたりして。
あんなびっくりな連絡に対応してくれた友人には
感謝でいっぱいです。

そんなに急患だったのか、初診もあんなに待たされた病院で、
次の日には主治医の先生から治療方針を聞けるというスピーディーさに驚きました。

精密検査と治療方針の説明

 

入院の翌日にもう一度脳のMRI(初回のMRIよりも、よりたくさん輪切りにした画像)をとりました。
でも記憶があいまいなので、間違っていたらすいません。

その画像をもとに、主治医の先生から家族を含め全員で、
今後の治療方針について説明を受けました。

コロナの影響もまだ残っていて、普段は2人しか家族が同席できないのを
無理を言って3人にしてもらいました。
普段は母親任せの父親が、この時ばかりは同席して説明を受けたいと言ったのです。

私は友人には連絡したものの、家族には何と説明したらいいのか、
どう対応したらいいのかわからなくて、
家族への転移の報告は夫に丸投げしていました。
だからどんな顔で家族に会っていいのか、治療のことや、生きられるのかなど、
色んな感情が混ざっていました。

担当してくださったのは気さくな部長さんで、

「僕のところに来る患者さんは、みんなかなり具合悪いから心配しないでね~」

と場を和ませてくれたのをとても良く覚えています。

「緊急だから90代の方の手術を少し先延ばしさせてもらったからね~」

なんて、明るくおっしゃってくれて、
90歳でまだ手術できるのかという驚きと、
その方へは本当に感謝で頭が上がりません。
(入院中にその方は術後3日で、スクワットをしてもいいか先生に質問された、
スーパーおじいさんだったことを知りました。笑)

そこで言われたのは、私の腫瘍は水風船のような形状で、
固形タイプよりもたちが悪い。
(固形なら取り除きやすいが、
水風船だとどうしても一度割らないといけないので
中身が飛び散りやすい)

事前に放射線を5回照射してから、間をあけずにすぐ手術になる。
入院から手術までが2週間ぐらい。

他にも少し怖いことも言われましたが、正直全然覚えておらず・・・

自分の中では、すぐに治療してもらえる安心感と、直感で

「これならいける!」

みたいな、謎の強気な気持ちが芽生えたのを覚えています。

1点だけ怖かったのが、放射線治療の副反応が強く出て
水頭症が引き起こされたら、本人の意識が無くなってしまう可能性があるので、
その場合は家族の了承を得て緊急手術になると言われたことです。

「私、突然意識無くなっちゃうの?」とか、
自分が自分ではなくなってしまうのではないかというような
恐怖心が出てしまい、看護師さんに泣きながら質問したことを覚えています。

その時の看護師さんも優しくて、

「先生は説明しなければならないから怖いことも説明しますが、
私は看護師をやっていて、今までそうなった人を見たことがないですよ。」

と声をかけてくださいました。

私も単純だからなのか、それを聞いて、

「なら大丈夫か♪」と
すぐに気持ちを切り替えることができました。

今回の治療では、先生や看護師さんの前向きな言葉に本当に救われました。

夫婦で決めたルール

 

脳腫瘍がわかった直後に、夫と決めたルールがあります。

それは、先生や看護師さんからの言葉以外信じないこと。

ネットで病気のことを調べないことです。

乳がんになってから散々、色々なことを調べては不安になってきました。

転移をしたらステージも4になり、延命治療に切り替わることはわかっていました。

だから脳転移がわかったことの重みはわかっていたから涙が出たし、ショックだったけど、
起こってしまったことは変えられないし。

これまで乳がんの治療をしてきて、抗がん剤の副反応や、
術後の回復状況も、大体先生から説明があった通りになってきた事実があります。

だからもう、無駄に心が辛くなるような情報を拾いたくない。
そう思ったんです。

私にはこの選択は本当に合っていて、
明るい先生の言葉を真に受け、看護師さんの励ましを真に受け、
『治る』ということしか信じなかったおかげで、
気持ちがとても楽でした。

夫にも「暗いことは一切言わないで、明るい未来の話しかしたくない!」
とわがままを言って、入院中は退院したらどこにご飯を食べに行きたいか、
どこに旅行に行きたいか、そんな話ばかりしていました。

家族がみんな日替わりで面会に来てくれたのですが、
みんな物凄くどんよりしていて…
当たり前なのかもしれないのですが、
その時の私は、後ろ向きな気持ちになったら病気に負けてしまう気がしていて、
暗い気を持ち込まれたくないと思い、夫以外誰も病院に来ないように、
夫に上手いこと家族に伝えてもらいました。(笑)

わがままな選択だったと思いますが、
本気で命と向き合ったことがある人にしかわからない
感情ってあると思うし、こんなに人を羨ましく思ったこともなかったです。

だからこの時ばかりは、自分の気持ちを最優先してよかったと思っています。